虹色の月、広報担当のyasucoのblogです
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ぶっきーのみちのり④
現在のぶっきー


予約の電話から3ヶ月待ち、ようやく診察を受ける事ができました。
診断の結果は「知的障害を伴う自閉症」でした。

あまりのショックに、この時の事はうろ覚えです。
どんな検査をしたかも覚えていません。
これから書く内容には記憶違いがあるかもしれません。


先生から「お母さんはお子さんはどういう状態だと思われますか?」
と聞かれました。
わたしは「多動」ではないかと思う、と答えました。


その時、私にはそのくらいの知識しかなかったのです。


先生に、「自閉症という障害を知っていますか?」と聞かれました。
その言葉は聞いたことがあるけどよく分からない、と答えました。


その場ではその障害についての説明はほとんど無く、
次回の予約をし、視覚支援についての本を薦められて帰りました。


家に帰り、インターネットで自閉症について調べ、
初めて、一生治る事の無い脳の障害だと知りました。

愕然としました・・・。

楽しみにしていた息子の将来が強い不安へと急変しました。
仕事には就けるのか?結婚はできるのだろうか。
私が死んだらこの子はどうなるの?
治せるものならなんでもしたい、どうか間違いであって欲しい、と思いました。



と、同時に、ほっとする気持ちもありました。
今まで納得の行かなかった事の答えがやっと見つかった、と思いました。
もう、自分を責めなくていいんだ、という思い。
なんとか皆に追いつかせようと必死になっていたけど
そのプレシャーからも開放されました。


診断が出て以来、それまで当然だと思っていた事が大きな喜びに変わりました。
「ママ」と呼んでくれる事。
抱きしめると喜んでくれる事。
ひとつ、新しい言葉を覚えた時。

毎日数え切れない喜びを与えてくれる。
改めて、「この子の母親で良かった」と思うことができました。



ぶっきーは今、公立の保育園に通っています。
発達障害に理解のある保育園を選びました。
加配の先生を中心に、園全体でぶっきーを優しく見守って下さっています。
診断を受けたことで、ぶっきーのために良い選択をすることができて
本当に良かったと思います。


だらだらと長い文章になってしまい、申し訳ありません。
診断を受けることをためらっているお母さんの助けに、
少しでもなれば嬉しいです。


by.ちえぞう
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by teotsunagou | 2009-10-13 10:20 | 診断までの道のり
ぶっきーのみちのり③
2歳の頃のぶっきー


療育センターがどんなところかもあいまいにしか知らないにもかかわらず、
行くことを頑なに拒否していた私がついに決心をしたきっかけになったのは、
かかりつけの小児科のF先生の言葉でした。


言葉は確かに遅いけど、「新幹線」とか「電車」なんかは
ちゃんと見分けが付いて言えるんですよ、という私の言葉に、

普通、人間というものは生きていく上で必要な「マンマ」や「お茶」、
「パパ」や「ママ」という言葉を1番に覚えるものだ。
興味のある事しか言葉が出ないのはおかしいね、と言われました。

それから、成長が遅れていて、困るのはぶっきー本人だよ、と。
これから集団生活に入って、みんなと一緒に行動できなかったらかわいそうだよ、と。

これまで、そんなことは全く考えてもみませんでした。
いつか出来るようになる、と信じていたので。


託児所に入った事で、ぶっきーの成長の遅れに気付くことができたのも大きいです。
ぶっきーより小さい子にもどんどん成長を追い越されていくのです。
そこで、ようやく療育センターに連絡をしました。
この時、ぶっきーは2歳半。
初めて療育センターを紹介されてから1年も経っていました。


ぶっきーが変わっていることに気付かせてくれて、
電話をする決心をさせてくれたF先生に、今はとても感謝しています。


この頃のぶっきーの様子
・言葉は相変わらず単語のみ。
・乗り物の名前は言えるのに、パパ・ママは言わない。
・こちらの指示には全く耳を貸さない。
・自分勝手にしゃべり、こちらの問いかけには答えない。
・手をつないで歩けない。突然走り出す。
・つま先で歩く。階段の昇降ができない。
・前を向いて走らず、頻繁に転んだりぶつかったりする。
・人と目を合わせない。
・手掴み食べ


by.ちえぞう
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by teotsunagou | 2009-10-13 10:18 | 診断までの道のり
ぶっきーのみちのり②
1歳の頃のぶっきー

ぶっきーの成長の遅さがずっと気になっていた私。
保育士をしていた友人に相談したところ、「集団生活をさせてみたら?」とのアドバイス。
同じ年頃の子の姿を見たら出来ることが増えるかもよ、と。

そこで、ぶっきーが1歳2ヶ月の頃、仕事をはじめ、職場の託児所に
ぶっきーを預けることにしました。

この頃、話せる言葉は新幹線、消防車、等の乗り物の名前が10ほどと、
ワンワン、にゃーくらい。
歩くのもまだでした。

託児所に預けてみて、お友達との接し方にも違和感を感じるようになりました。
目を合わせないし、お気に入りの車のおもちゃに集中して
声を掛けられても全く反応しない。
でも、これも「親譲りの車好きだな」くらいにしか考えていませんでした。


人から初めてはっきりと指摘されたのは1歳半の集団検診の時です。
その時初めて療育センターの存在を知りました。
でも、この時はまだそれほど深刻だとは思わず、聞き流してしまいました。


職場は主婦ばかりで、よく育児の相談をしていました。
みんなに息子の成長の遅れを相談したところ、
「うちも遅かったよ」とか、「男の子は遅いものだから」
との言葉を信用していました。
実際に、集団検診で指摘を受けて療育センターに行った、
と言うママさんも2人いました。
でも、2人とも問題はなかった、と聞き、うちの子も大丈夫だと思っていました。


検診の後2回、保健センターから電話をもらいましたが、
それでもまだ療育センターに行こうとは思いませんでした。
耳に痛い専門家の言葉より、自分に都合のいい友人の言葉を信じたのです。


by.ちえぞう
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by teotsunagou | 2009-10-13 10:11 | 診断までの道のり
ぶっきーのみちのり➀
ぶっきーの生い立ち


ぶっきーが他の子とちょっと違うな、というのはずいぶん早くから気付いていました。
でも、それは個性だと、自分に言い聞かせてた。
成長が遅れているのも気になってたけど、親が焦っちゃいけない、
そのうちできるようになるさ、と思ってました。
でも、成長の差は広がっていくばかりでした。


ぶっきーが生まれたのは2006年1月2日。
大晦日の夜から陣痛が始まり、元旦正午に入院したものの微弱陣痛となり、
陣痛促進剤を使用しました。
しかし、陣痛は戻ったものの、赤ちゃんが降りてこない。
そのうち赤ちゃんの心音が低下。
1月2日正午、緊急帝王切開にて、胎児仮死状態で生まれてきました。
でも順調に回復してくれて、2日間は保育器に入っていたものの、
一緒に退院することができました。


初めての子供、という事もあり、産後直後から育児雑誌を買いあさり、
必死になって読んでいました。
産院や母子手帳交付の時に役場からもらった資料などもしっかり読み、
一生懸命勉強しました。
最初のころはそんな資料を読むのが楽しくて仕方なかったなぁ。


最初におかしいな、と思ったのは生後2ヶ月くらいの頃。
まず、やたらと白目をむく。
でも周りに相談したところ、「赤ちゃんはそういうものよ」
「きっと遊んでいるだけよ」と言われ、納得していました。

それから、泣かない。
お腹がすいても、オムツが汚れていても泣かない。
5時間でも6時間でもひたすら寝てる。
ちょっと気にはなってたけど、手がかからないいい子だな、と思っていました。

この頃は、神経質にならないように、という育児書の言葉に、
心配事があっても気にしないように心がけていました。


その後も、母子手帳の成長の記録のページをチェックしても、
「はい」に○が出来るのは書かれている月齢より1~2ヶ月遅れていました。

笑顔が出るのも声が出るのも遅かった。
くすぐっても笑わないし。
ハイハイも歩けるようになるのも遅かった。
でも、遅いだけで、出来ないわけじゃなかった。


そして、育児雑誌はあてにならない、と買うのを辞めてしまいました。
遅れを目の当たりにするのが辛くて区役所や公民館で開かれている
交流の場に行くのも辞めました。
でも、人と比べるのを止めても、何かおかしいな、という思いは
ずっとつきまとっていました。


資料や雑誌、ネット等で赤ちゃんの成長についていろいろ調べて、
もっと早く気付くチャンスはあったのに、気になることがあっても、
すべての資料に出てくる『個人差』という言葉の罠にすがって
自分をごまかしていたのです。


by.ちえぞう
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by teotsunagou | 2009-10-13 10:04 | 診断までの道のり