虹色の月、広報担当のyasucoのblogです
by teotsunagou
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カテゴリ:診断までの道のり( 21 )
【A-ちゃん】のみちのり 最後に・・・
診断されてから低迷した精神状態の中、
私は沢山の人を嫌いになりました。
中には昔からの友達もいます。
「お母さんなんじゃけ頑張らんにゃ!!強くならにゃ!!」っと言われたり、
「まぁ、yasucoが目を離さんことよね!がんばり!!」っとか言われ、
心の中で「おまえに何がわかる!!」と思ったりもしました。
それから、病院などの待合室やスーパー、ショッピングモールなどで
挨拶しても無視、何歳かきいても無視のA-ちゃんに、
「ものが言えんのんね」「つんぼ(耳が聞こえない)なんね(笑)」という声。
椅子にきちんと座れずグニャグニャしたり、床に寝てしまったり、
いきなりピョンピョン跳ねたり、一人で急に笑い出したり、走り回るのを見て
もの凄い視線を送ってくる人達。
そんな周りの人からの言葉や視線に、今までとは違う感情を抱き、困惑を感じ、
「見てわからぬ障害」に苦しみました。

けれど、人を好きにもなりました。

普段から人に弱さを見せるのが苦手で、悔しい涙も、悲しい涙も見せないからか、
ほとんどの人に「yasucoは強い」と言われます。
それだけならまだしも、相手が弱ってる時なんかのとばっちりで、
「yasucoに人の弱さなどわからない」っとか言われてきた私です。
そんな私が言葉を詰まらせ、涙を流し、
初めて友人達に「辛かったんだ」って言いました。
そんな時、
「私はyasucoが大好きだから、どんな時でも傍にいるから。
どこにいても応援してる。それを絶対忘れないで。」
「いつも前向きで、自信家で、笑ってて強いなぁーって思ってたけど、
そーやって弱い部分を見せてくれて安心したし、嬉しかった。」
そう言ってくれる友人たちがいました。
多くを語らず、ただ一緒に泣いてくれた友人もいました。

私は、人前で泣くことは「弱さ」ではないことを知り、
そして、大切な人に心配かけまいとするよりも、
甘えて辛いって泣いてしまった方がいい時もある。
「何かあったら言ってね」って言えても、
「辛いから助けて」って言える人はどのくらいいるんだろう?

それから、人の手の暖かさを知りました。

「A-ちゃんの保育園のばーば」ことB先生が、
ある日、A-ちゃんの好きな一本橋の手遊びを教えてくれたことがあります。
たぶん、私に教えてくれるために何も考えず私の手を取られたんだと思います。
それから、A-ちゃんの「頂きます」の仕方も教えてくれました。
いきなり人に手を取られたりすることはなかなかないので最初はとまどいましたが、
一生懸命「一本橋コーショコショー♪」って歌ってる先生を見ながら、

「人に手をにぎってもらうって、こんなに暖かくて心地いいものなんだ・・・」

っと心から思いました。

その後も加配の先生に「鍋鍋なんとか・・・」のやり方を手をつないで教わったり、
手をとって「一緒に頑張りましょうね」って言われた時も、
人と手を取り合う事の心地よさ、温かさを感じ、
心をつなぐとても大切な事だと思いました。

私はこのころから、
「誰か私を助けて!!そばにいて!!崩れ落ちないように支えてほしい!」
「助けてって叫びたい!誰かこの孤独感をどうにかしてよ!」
っという気持ちから、
「私と同じ気持ちを抱えてる人の支えになりたい。
楽しさだけでなく、苦しさや辛さを共感できる仲間がほしい。」
そう思うようになり、
一時保育の児童にも関わらずB先生が掛け合ってくださった、
保育園の「特別支援の必要な子の保護者会」に参加したり、
自ら広島市の地域限定で「発達障がい児の保護者」の仲間を募りました。

そして今、「手のつなごう」があります。

みんなといると苦しかったことも悲しかったことも笑い話にできたり、
「私もそーだったー」「凄いわかるわー」って言ってくれるだけで
気持ちが楽になり、いろいろ話を聞いてほしいって思います。
そして何より、

孤独を知ってる人の笑顔はとっても優しくて、
淋しさを知ってる人の笑い声は暖かくて心地いい気持ちにさせてくれます。
どんなに強い人も、必ず弱さを持っていて、
その弱さを受け入れ乗り越えようと頑張ってるみんなは、
強さや頼もしさ、弱さやもろさもある、人間味のある温かい人たちばかりで、
大好きです。

私の崇拝する槇原敬之さんの曲にこんな詩があります。
「淋しがり屋はいつも僕に笑ってくれた
自分より淋しい人がこれ以上増えないように」
手をつなごうのみんなといるとこの詩を思い出します。

A-ちゃんが自閉症だったから味わった苦しみや悲しみがあります。
けれど、私には
A-ちゃんが自閉症でなければ出会えなかった、愛すべき仲間がいます。
A-ちゃんが自閉症でなければ出会えなかった、大切な人達がいます。

人は人によって救われます。
それをみんなに教えてもらいました。
本当は人が大好きで、人を愛したい。
そう思わせてくれたのはA-ちゃんでした。
A-ちゃんは私にいろんなものをくれました。
私はみんなに支えてもらいながら、
A-ちゃんと一緒に頑張り、一緒に苦しみ、一緒に悲しみ、一緒に喜び、
愛を注いで、手をつないで、ずっと共に生きていこうと思います。

大好きです。
ありがとう。

by.yasuco
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by teotsunagou | 2009-12-24 23:54 | 診断までの道のり
翔のみちのり  by ぷにゅ
翔は2歳の男の子です(2009.12.15現在)

2歳3ヵ月の時に「広汎性発達障害」と診断されました



翔の障がいについて考えはじめたのは、生後2ヵ月の時でした

その頃翔は泣いた時に照明の豆球を見せると泣き止むようになりました

たまに「にへら~」と笑ったりする事も

泣き止ませる術をゲットだぜ~って喜んでいました

そのことを義姉に話したところ「自閉症の子は電気好きよね」と言われました(義姉は大人の知的障害者の方の施設で事務方で働いてます)



もうその日からネットで調べまくりです



電気が好きな子は・・・

まつげが長い子は・・・

頭がおっきい子は・・・



検索する度に翔に当てはまることばかり





ちょうど翔を妊娠中に「僕の歩く道」の本放送と「光とともに・・・~自閉症児を抱えて~」の再放送があって夢中でみてまして、

『自閉症児のお母さんはうちには無理だわ』



って思っていたので、本当にうそじゃろ~って気持ちでした



暇さえあれば翔が健常であることをネットで検索するのですが、まだ2ヶ月では診断はできるはずもなく不安が膨らむばかりでした



ある時ネットでうちと似たような状況で質問をしている方がいらっしゃったのですが、その方に対しての回答が



「今は考える時じゃない。まだ幼くて可愛い時期なんだから可愛い可愛いで過ごすべき。時期が来たら判ること」



たしかにそうじゃな~

今はいっぱい可愛がる時期じゃ



そう悟ってからはあんまり自閉のことは考えんようにしました







そんなこんなで可愛い可愛いで過ごしていたのですが、4ヶ月検診の時に衝撃が!!

それまで密室育児で同じくらいの赤ちゃんを見たことなかったのですが、



「みんな首がすわっとる~」



みんな赤ちゃんを縦抱きにしていて横抱きな赤ちゃんは翔とあと数人でした



「また障害があるのでは」って考え出してしまいました

しかし、しばらくすると首もすわり寝返りもほぼ同時にできたのでまたすっかり忘れて育児の日々をすごしました







その後もなんとか遅れも無く(この期間にできたらよいですよって期間の後半にできるようになる)成長していったので、気にし過ぎやったんじゃ~って思ってました







たまに「もしかして?」と思うことはあっても「やっぱし普通じゃん」って過ごしていた1歳3ヶ月の時に、ネットで自閉症が簡易に診断できるサイトを発見してしまいました

http://development.kt.fc2.com/m-chat.html



まだ月齢が早いのは承知でやってみたら





「自閉症の可能性があります」





え~!!




1歳2ヶ月くらいには歩くようになったのですが、スーパーなどに行くとすごい勢いで走り回る(よちよちですが)

育児サークルで工作物を作るときは全く無視

おもちゃの車をひっくり返してタイヤをぐるぐるまわす

自分がくるくるまわる

頭をふりふりふり振りまくる


この時改めてネットでしらべると


自閉症



たしかに行動は自閉症にあてはまることばっかりだったんですが、重要なコミュニケーションに関しては取れていたような気がします

目もあうし


自閉症いや違うって悶々しよるうちに1歳半検診の問診票が届きました

問診票をみてみると


見事に「はい」ばかりでした007.gif









1歳半検診の時に保健師さんに「自閉症かもしれん」って相談しました
相談しながらも「お母さんの考えすぎですよ」という言葉を期待しながら

しかし保健師さんは
「児童相談所の人に相談するか療育センターでお医者さんに診てもらうのどっちにしますか?」


うっ

やっぱり自閉症??


自閉症を調べる時によく目にした「早期療育」がちらちらします
はやく診断された方が療育が早くスタートできる
でも、でも、違うかもしれんし・・・


結局「お母さんの考えすぎですよ」の言葉が欲しくて、児童相談所の人との面談を選択しました


9月に1歳半検診があってその時に面談の予約をしたのですが、その日時が12月
3ヶ月も待たなくてはいけなくて、びっくりしました
はやく「大丈夫ですよ」の言葉が欲しかったのですが、その期間またされるということで、いっぱい相談する人がおるってことで少し安心?しました




児童相談所の人との面談は、いろいろ生育暦をきかれたり、翔に積み木やお絵かきをさせたみたりでした(今思えば発達検査だったです)

そして言われたことが、

「いままで育てにくかったでしょう」
「療育センターで医師の診察を予約した方がいいですよ」


・・・・・・


それからすぐ診察の予約をしたのですが、3月に予約が取れました
今度は4ヶ月待ち

『こんなにまたされるんじゃ~』
『早く療育せんといけんのに矛盾しとらん??』

など思ったのですが、ちょうど引越しやらなんやらありましてそんなに思いつめることなく診断まで待ててました

そしたら途中でキャンセルがでて、2月の終わりに診察を受けることができました


ドキドキしながらの医師の診断
問診表に「発達障害のような気がします」と記入していました
でも「お母さんの考えすぎですよ」の言葉を期待してました

医師は
「私も翔君、なんかある気がします」
「発達検査を受けてみませんか?」


マジですか~


翔まだ2歳にもなってないんですよ~(5日後に2歳)


でもやっぱしそうなんか~



医師の診察後はうちの中で翔の障がいは確定しました

診断名は出てないけど「自閉症」じゃろう
「白に近いグレー、ブラック5%くらい(健常者とほとんどかわらんくらいの障害)」じゃろう
言葉はでるしこっちの指示通るけぇ、ほんま軽度じゃろう




発達検査は年度末をはさんでしまったので6月でした
それまでの間、何冊か本を買って読みました

本当はもっと早く本を読もうと思ったのですが、本を買うことで翔の障がいが確定されるような気がしてなかなか買えませんでした


また4月から月1回の療育センターの外来教室に通えることになりました




6月になって発達検査がありました

検査中翔はうろうろでじっと座っていることがあまりありませんでした
テストの内容もほとんど出来ない・・・
てか、これらのこと同い年の子は出来るのかと思うと、出来なささにびっくりしました
やらせてないこともあったので、やらせなければ!と思ったりしました


そして2週間後、医師か発達検査の結果を教えてもらいました

「広汎性発達障害です」   ・・・自閉症ってことですよね?


「知能はボーダーかそれより上だとおもわれます」   ・・・よかった~

「自閉性は、かなり重いです」   ・・・へ?


自閉性の説明で、

重い  ← --------------------- → 軽い
            ↑
           ここら                          (携帯の方すみません)


昔の自閉症とされていた自閉性くらいと言われました



いやいやいや
翔はグレーでしょう
軽度でしょう


え~!!!



それまではなんとかこらえていた涙腺が決壊しました
医師の話を聞きながらいろいろ質問したいけど、ショックでショックでほんまショックで涙がダーダーでました








生後2ヶ月から自閉症では?って思ってきたので「自閉症」は受け入れることは容易かったですが、「重い」というのが信じられなくてなかなか受け止めることができませんでした


そんな時に「手をつなごう」の皆さんとの出会いがあっていっぱいいろんなことを教えてもらい、「重い」ことも受け入れることができるようになりました

一人で抱えていたら絶対ヤバイ方向に行っていたと思います

「手をつなごう」の皆さんにあえてほんま良かったです




終わりに
読みにくい文章でごめんなさい(現代語が嫌で理系に逃げたインチキ理系です)
読んでいただいてありがとうございました(文章に方言でてすみません)



ぷにゅ
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by teotsunagou | 2009-12-23 01:32 | 診断までの道のり
【A-ちゃん】のみちのり ④
今日で一週間のインフルエンザ休暇も終りそうなので、
【A-ちゃん】のみちのり④を綴りたいと思います。


療育センターでの受診待ちの2ヶ月間
(結局A-ちゃんの体調不良で3ヶ月に伸びましたが・・・)、

「子供の集団に入れたら変わるかもしれない!!」っと思い、

近所の保育園・幼稚園の園庭開放日や見学会の日程を
かたっぱしから調べて行っていました。
(この時の話しはかなり積もった話しになるので、
また【幼稚園・保育園を選ぶまで】で別途詳しく赤裸々に綴りたいと思います(`o´)ゞ)

そして、その頃は億劫でしょうがなかった育児サークルへの参加、
公民館でのイベント、保健センターのオープンスペースなど、
とにかく子供の集団に触れ合えるところに可能な限り出向きました。
(この、あらゆるところへ出向くのは保育園に入園するまで続けました。)

それでもやはりA-ちゃんの様子は変わりませんでした・・・。
むしろ、どこに行っても浮いた存在になっていて、
同じ年頃の子ができる事ができていない事を思い知る日々が続きました。

けど、とてもいい出会いもありました。
サークルで同じようにただひたすら我が子の後を追いかけ、
走りまわって大変そうなお母さんに出会ったんです。(今、その子は同じ園に通っています)
そして、これは後になって知ったのですが、
そのサークルの会長さんのお子さんも発達障がいがあり、
A-ちゃんの事が凄く気にかかっていたらしいのですが、
私が診断が下ってから話しをするまで、何も言わず、何も聴かず、
いつも暖かく「よく来たネッ!!今日も楽しもうネッ!!」っと迎えてくれていました。
この出会いがあったから、めげることなく続けていけれてたのだと思います。

それから、療育センターの受診待ちということを伝えたうえで、
保育園の一時保育もお願いする事になりました。(今、通園している保育園です)

この時、「A-ちゃんの保育園のばーば」と私以上に号泣してくださる先生
(以下、B先生)に出会いました。

それから月に9日、ほぼB先生、たまに違う先生、という感じで一時保育に預けながら、
私も仕事に復帰し、その間だけは「自信喪失の私」ではなく「根拠のない自信家の私」
に戻れたので、貴重な9日間となっていました。

受診までの間、B先生には

・「目を見て話しかけてあげてください」
・「もう少し寝る時間を早くして生活習慣のリズムを整えてあげましょう」

ということを言われました。

「目が合わない」と言われたのはB先生が初めてでした。
なので最初は「私、目が合わないとか思ったことないんですが・・・」って言っちゃいましたし、
無視はするけど、私とは目は合っていると思っていたというか、
目を合わせるとか合わせないとか気にした事がなかったので、
人と目を合わせない事に気付いていませんでした。
そして、その「無視」が、普通ではない事にすら・・・気付いていませんでした・・・。

少しずつゆっくりと生活習慣の改善に取り組みながら(うまくいかず苦悩の日々でしたが)、
日々「今日はこんな事が出来ました」「こんな事があって嬉しかったです」など、
今まで誰も言ってくれなかったA-ちゃんの「できる事」「興味がある事」を聞くのがとても嬉しかったです。

私がどうしたら伝わるのかわからなかったことを
「こうやったらやってくれました」「こうしてあげたらいいと思います」など、
とても心強い助言をもらい、不安で潰れそうだった診断までの日々を支えてくださいました。

そして、初めての受診の日がきました。
この日は、相談員との面談の後、すぐに小児科の受診がありました。

相談員の人から
「言葉は出ますか?」「妊娠中、出産時に異常はありませんでしたか?」
「偏食はありますか?」「睡眠時間はどのくらいで、途中で起きたりしませんか?」など、

いろいろな質問があり、最後に、
「お母さんはどんなところで一番困っていますか?」っと聞かれ、
「車の前に平気で飛び出したり、スーパーで買い物をする時などにすぐに走ってどこかに
行ってしまうことです」っと答えました。
そして、
「それでは、A-ちゃんは何で困ってると思いますか?」っと聞かれ・・・

この時は、何も言えませんでした・・・。

相談員の方はこう続けられました。
「A-ちゃんは、お話ができせん。
今も部屋を出たがっていますが何で部屋を出たがってるのかがわかりますか?
きっと、さっきまで遊んでいたおもちゃにそのボールが詰まってしまって遊べなくなって、
遊ぶものがなくなってつまらなくなったんでしょう。
ボールが詰まったから取ってほしいとお願いする術を知らない。
あそこに行きたい、あれがほしいと伝えられないから、
その場に行くしかないんじゃないでしょうか。」

「お母さん・・・A-ちゃんはお母さんが思っている以上に、もの凄く困っていると思います。」

・・・。

部屋を出たがってパニックになっているA-ちゃんを見ながら、情けなさで一杯になりました。

自分の大変さしか見てなかった・・・。

この子が困っているなんて・・・考えてもみなかった・・・。

そんな放心状態のまま、数分後に小児科の受診をしました。
ここでは「どうですか?」的質問ではなく「こうではないですか?」的質問が多く、

「冷蔵庫なんかに手をひっぱっていって、ほしいものに手を持っていきますか?」
「ガムやグミなどの弾力のあるものが好きですか?」
「高いところが好きですか?」
「水が好きですか?」
「自転車とかのタイヤとかを見るのが好きですか?」
「頭や顔、体などに触られるのが嫌いですか?」

など、A-ちゃんのことよく知ってらっしゃいますね・・・
っと関心するほど的を得た質問ばかり・・・。
初日ですぐに、
「小児科の先生が紹介状に書かれているように、発達障がいであることは間違いないです。
けど、まだ3歳になってない小さいうちから療育を受けていけば、
ゆっくりではあるかもしれませが、必ず成長はしていきますから。」

「お母さん、育児のせいではないんですヨッ。
とても大変だったでしょう・・・勇気がいったでしょう?よく頑張ってここに来られましたネッ
これからは一緒に頑張りましょうネッ」

っと言われ、涙が出ました。
発達障害と言われた事は置いておいて、
専門医から出る「育児のせいではない」という言葉と、
大変さを理解してくれ、頑張ってきたことを認めてくれた言葉がとても嬉しかったんです。

この時に、年少さんの一年だけでもなぎさ園に入園してみてはどうだろう?
っと言われましたが、無知な私はよくわからず、
「ゆっくり考えてみてネッ」ということで終りました。

A-ちゃんの事をもっと詳しく知るために、さらに二週間後の知能・発達検査を受け、
またその二週間後に集団での様子をみるためにおさかなグループの問診を受けました。

そのおさかなグループで問診して頂いた療法士さんにも、
なぎさ園への入園を薦められ、働いているので毎日母子通園は無理なこと、
できるなら健常児さんの中で生活させてやりたいと思っていることを伝え、
「それなら個別療育で通われるのが一番いいと思うからこちらもそのつもりでいますネッ」
っと、母親の私の気持ちを尊重し、親身に相談に乗って頂きました。

そして、A-ちゃんが3歳になる一ヶ月前。

「A-ちゃんは、軽度の知的障害を伴う自閉症です。
ADHDもありますが、自閉症の療育を最優先でやっていきたいと思いますので、
いろいろな療法士と相談した結果、まずは言語療育を個別でしたいと思っています」

っと告げられました。

あれ?
広汎性発達障害じゃないの?
知的障害って?
自閉症?

私の子供が、知的障害で自閉症?

それまで、怖くて専門書を読むことをせず、
発達障害についてもの凄くぼんやり調べただけだった私は
「知的障害」と「自閉症」という単語でパニックに陥り、
その後の小児科の先生の話されたことはまったく覚えていません。
この日は、私の母と主人も一緒に来ていましたが、帰りに何を話したかも覚えてません。

ただひたすら・・・
「なんで私の子供が知的障害?」「なんで私の子供が自閉症?」
そんな答えのない問い合わせを何度も何度も繰り返し、

仕事を一ヶ月休むほど体調を崩し、
笑う事も泣く事もできないほどにボロボロになりました・・・。


by.yasuco


【A-ちゃんのみちのり】最後に・・・に続く
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by teotsunagou | 2009-12-18 01:39 | 診断までの道のり
たつ坊のみちのり
私(きりん)の息子たつ坊は、この春4歳になりました。

「おそらく自閉症でしょうね」と言われたのは、2007年の秋(2歳5ヶ月頃)です。
…この時点では担当医師の言葉だけだったから、あまり実感がなかったんだけど。
その後、翌年の春に発達検査を受けて、
≪知的障害を伴う自閉症≫
と診断を受けました。


そもそものきっかけは、たつ坊が2歳になったばかりの頃。
たまたまかかりつけの小児科を受診した際に、医師から指摘を受けたことです。
・2語文が出ない。
・周囲の人間にまったく関心を示さない。視線が合わない。
・とにかく落ち着きがない(多動の疑いあり)。
これらの点から
「もしかしたら発達障害があるかもしれないね。専門の病院で診てもらいなさい」
と、紹介状を書いていただきました。


その頃の私が心配していたのはただ一つ、発語がないことでした。
1歳過ぎてからだったかな、一度「まんまん…」と喃語を発してたんだけど、
いつの間にか消えてしまい、それ以来聞くことはありませんでした。

その他のことについては、初めての子育てだったこともあり、
”落ち着きのなさも無関心さも、きっとこの子の性格なんだろう”
と思ってたし…。


うちは社宅に住んでいることもあって、同年代の子供と触れ合う機会も多かったけど、
「たつ坊は手がかからん子じゃねぇ。育てやすそうで、いいねぇ。」
…友達にそう言われて、内心ほくそ笑んでいた私。

・よその子と玩具の取り合いをしない(=取られるがまま)
・放っておいても泣かない(=人見知りもほとんどなかった)
・大人がちょっかい出しても、無視して自分の世界で遊んでいる
今振り返ると、この時点で充分怪しい匂いが…(笑)



そんなこんなで、指摘から4ヶ月後にようやく療育センターを受診したわけなんですけど、
それまでは悶々としたり、まぁいいかーと思ったりの繰り返し。
ポジティブ思考とネガティブ思考の狭間でうろうろしていました。

まず、私の兄も言葉が遅かったと聞いていたし、
男の子だから成長が遅くて当たり前、という勝手な思い込みがありました。
実家の母も夫の母も
「大丈夫、大丈夫。たつ坊は男の子だしマイペースなんよ」
って言ってたしなぁ。
(…本当は二人ともかなり心配していたそうです。後で聞くと。)
“うちの子はただマイペースで元気いっぱいなだけ。”
”未熟児で生まれたから発達が遅いのは仕方ないよね。”

一方で、漠然とした不安もありました。
“うちの子はやっぱり周りと違うような気がするな。”
”私が淡々としてるから、あんまり話しかけないから、こんな風になったんかな…。”

日々頭の中がグルグルしたまま初診日を待っていました。



診断された時にまず感じたのは、安堵感。
障害に気づかないまま育てるよりは、早く分かってよかったー、みたいな。
今考えると、「大丈夫なフリ」をすることで無意識に現実逃避していたのかもしれません。
ここでガクッとへこんだら、当分立ち直れないような気もしていました。

その頃はまだ自閉について知識も実感もなかったから、
その時の思いが単なる綺麗事・やせ我慢に過ぎなかったんだと、後々思い知ったんだけど…。


腹を括っていたはずの自分が本格的に落ち込み、悩み始めたのは、それから少し経った後のことです。
扱いやすい子供だったはずの息子に、いろんなこだわりが出始めたから。
療育を受け始めて、今まで見えていなかったものが見えてきたから。

それまではどこか他人事のように感じていた現実を、やっと実感し始めたんだろうな。


今まで受けてきた療育については、またあらためて書きたいと思います。
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by teotsunagou | 2009-12-15 00:12 | 診断までの道のり
長女めぇちゃんの生い立ちその1
私には4人の子供がいます。
今回は長女の診断までの道のりを書きます。

長女めぇちゃんは今年11歳になりました。
めぇちゃんは知的障害を伴う自閉症、てんかん、喘息、アレルギー、自律神経失調症です。


19歳の時に結婚、20歳の時に出産。めぇちゃん1歳の時に離婚。めぇちゃん3歳の時に再婚。


妊娠中、ホントに大変でした002.gif

結婚する前と妊娠五カ月くらいまでは仕事を掛け持ちして、朝から晩まで働いてくれて、病院も必ず付いてきてくれて、本当にいい旦那さんでしたが、妊娠六か月を過ぎたころから、態度が変わりました。
旦那の実家は車で15分の所にありました。

突然、昼間の仕事を辞めて、昼間は実家で過ごして夕方になったら、そのまま夜間の仕事に行くという生活が始まりました。


家には仕事が終わった明け方に帰ってきて起きたら実家。


旦那に理由を聞いても教えてくれないし、会話もほとんどなく・・・・・・008.gif


順調だった妊娠生活は最悪な事になりました。



検診に行くたびに切迫早産、切迫流産のどちらかを言われ、薬に注射に点滴007.gif


妊娠後期に入ったころには、めぇちゃんの心音の音が小さくなってきて2週間に1回病院に行って、心音と胎動が確認出来るまでずっと病院のベットの上007.gif




妊娠9カ月の時に事件発生034.gif



めぇちゃんの成長が止まったので明後日、緊急入院して帝王切開します。
頭の中真っ白になりました。


検診代が凄くて1カ月前から夜働いてた、ラーメン屋で正社員と働き出してた旦那に話して。


仕事でもちろん病院には付いてこれなくて、一人で病院に向かってる時に携帯に旦那の仕事場から電話が


「仕込中に長靴にお湯が入って中度の火傷をして入院になったから、ベットからトイレ以外動けないから昼間だけ付き添いが必要だからよろしく!」



私も入院予定なので姑様にお願いした。


旦那もしばらくいない、毎日家に来て何時間も居座って嫌味を言い続ける姑様も来なくなると思うと気持ちが凄く楽になった。




うきうき気分で病院に向かってる途中で、今まであんまり感じなかった。



胎動が005.gif



ボコボコとはっきりわかくらい感じれた012.gif




本当にあの時は嬉しかった007.gif



病院にいくと心音検査も胎動検査も初めて一発ok!!019.gif


エコーでも元気に暴れまわるめぇちゃんが確認出来た。


入院もなしで自宅安静になった。



2週間後病院に行くと推定体重2500しかなかったのに3000グラムに増えてた
029.gif


検診の次の日旦那が退院してきた。


退院して来たその日の夜中に破水025.gif

夜中3時旦那に頼んで病院へ

薬を飲んでたせいで微弱陣痛しかこず、とりあえず旦那さんは自宅に帰ってもらって7時に戻ってきて下さいね8時から陣痛促進剤を点滴してお産に入ります。妊娠中色々あったから赤ちゃんにもしもの事があったら、救急車で赤ちゃんを別の病院に運ばなくてはいけないから、もう一人付き添いの方を連れてきて下さいね。


と言われたのに・・・・・・・・。



点滴を始めて1時間たった9時になっても旦那現れず。
携帯にかけても、実家にかけても誰も出ず・・・・・・。



仕方ないから一番連絡したくないうちのおかんにかけてもらった。

10分後タクシーでかけつけたおかんが分娩室にきた。


会話もなく無言、その頃はおかんとは犬猿のなかだった。


しばらくするとビックウエーブきて、いよいよお産が始まった。


おかんも廊下に出されて、30分後の


9時58分  めぇちゃん誕生!!!


異常なしの健康体ですと言われた時本当にホッとしました。


廊下ではご対面が始まってて、

[お父さん。娘さんですよ。抱っこしてあげて下さいね。」


と聞こえてきたから、旦那がきたんだと思った時に

「はじめまして。たか兄ちゃんよ~。たけ兄ちゃんもいるよ。」


2番目と3番目の兄でした015.gif


病室に戻ると4番目の兄がいて、旦那家族を捜しに行っててくれてた。


旦那一家はファミレスで仲良くいたらしい015.gif

旦那一家は夕方まで来なかった。


初めての抱っこの写真は伯父さんというかわいそうな結果になったが、今ではそれで良かった!



うまれた時は健康体だったのに・・・・・・・・。


この旦那一家によってめぇちゃんの運命は狂いだしたのだ・・・・・・。



文章を書くのが苦手でまとまりがなく読みにくいかもしれません。
ごめんなさい。
長い話を読んで下さってありがとうございます。
この続きはまた、書きますね。                 by夢
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by teotsunagou | 2009-12-04 07:31 | 診断までの道のり
【A-ちゃん】の道のり③
③へ続く・・・っと書き、「続きは?」っと言われ続けて3ヶ月が経とうとしていました・・・042.gif

年が明ける前に、続きを書きます(笑)



A-ちゃんが2歳半の夏、主人の職場の近くに引越しする事になりました。
私にとって、7回目の引越し。
結構楽勝ヨッ!!
っと思っていましたが、A-ちゃんのいる引越しの準備はどんな仕事よりも大変でした042.gif
これじゃ、臨月で引越しした前回の方が楽だったわ・・・っと思う程。

けど、この引越しは私にとって必要だと思いました。

とにかく、
今のままじゃ駄目だ・・・。
環境を変えないと、私自身が駄目になる・・・。


この引越しをチャンスだと思って、頑張れ自分!!

Σ(・ω・;||| ハッ

いやぁーーー!!A-ちゃん!!
そこに入ったら駄目ぇーーーー!!!ヾ(*`Д´*)ノ!!!


っという感じの、デンジャラスでサバイバルな引越しでした・・・。

そして、旦那のお決まりのミスで、真夏日に3日間クーラーがない・・・
という「イラッ」とする日を過ごしていた引越し2日目。
ハウスダストアレルギーのA-ちゃんが喘息を起こしてしまい、
引越し先の近所の小児科に駆け込む事になったんです・・・。

ゼーゼー言ってるA-ちゃんを連れて、診察室へ入って30秒後。


先生:「気になるね」
私:「?」
先生:「空気読めてないよね?」
私:「???」

とりあえず先生。
喘息診てくれんかね?

っと思いましたが、病院に来てこんな質問されたのは初めてだったので、
頭の中は「?」で一杯でした。


先生:「この子、育てにくいって思った事ない?」
私:「はい???」

とりあえず先生。
そんな事は後でいいから、喘息診てくれんかね???

っと思いましたが、なんだか直球で質問されるので、

私:「初めての子供なのでよくわかりません」
っと答えた矢先、


先生:「発達障害じゃないかね?それにADHDも。」

私:「え・・・?」


何それ???
発達障害って何???
ってゆーか、この先生、何言っとるん???
A-ちゃんここに初めて来たんよ???
しかも、喘息でゼーゼー言ってしんどいのに・・・何それ???
A-ちゃんの何がわかって言ってんの???

もー、頭の中が「?」と怒りで一杯になりました。

その後も、

先生:「言葉出る?」
私:「嫌とかなら言います・・・」←っていうか、嫌しか言いません
先生:「指差しする?」
私:「・・・しません」←指差ししないのが何かあるわけ?的レベル


あと何個か質問されましたが、私は「障害」って言われた事への動揺と、
ゼーゼー言ってるのになんでこっちの話しが先なの???という怒りで
ちょっと理性というか正気を失っていて、大人しく返答していたものの、記憶がはっきりしていません。

それから、喘息に対する治療が始まりました。

「血液中の酸素の量が少ないね・・・」
「なんでこんなに悪化するまで連れてこなかったの?」
「夜、急変したらすぐに舟入に行ってね!」

っとか言われながら、吸入と点滴を受けましたが、
A-ちゃんが尋常じゃないくらいの抵抗をするので、
点滴の時には「お母さん、外に出てて」っと言われ、
看護師さん4,5人で布団に包んで羽交い絞めされてました・・・。

その間、発狂にもとれる泣き声を聞きながら、ボロボロ泣きました。

悪化してる事に気付いてなかった自分が情けない。
私の育児のせいで、障害児扱いされているA-ちゃんに申し訳ない。
悔しい!!悔しい!!悔しい!!


たぶんそんな心境だったと思います。

点滴が終って、呼吸も楽そうになった頃、


先生:「西部療育センターの所長が前の職場の同僚だから、紹介状書くから。ここに電話して予約してネッ」

私:「・・・」←なんでそんな強引なわけ?的視線を向ける

先生:「予約入れても2,3ヶ月かかると思うからね。」

私:「はい」


なんかもう、診察に来た時とはキャラが明らかに変わっている私が信用できなかったんでしょう・・・。


先生:「今から電話するから!いい、お母さん、予約するからね!」

私:「はい・・・」←押しの強さに負けました



そんな感じで、かなり強引に療育センターの受診をする事になりました。


                      
                                            ④へ続く・・・



◎追記◎

この日の事は、きっと一生忘れないと思います。
本気で「どんだけ失礼な先生なんよ!!!二度と来んわ!!!」っと思いました。
けれど、今となってはこう思います。

今の世の中、評判が命とり。
ひょっとしたら自分の病院のマイナスイメージになるかもしれない事を
こんなに率直に言ってくれる先生がいて本当に良かった。
引越しをして、A-ちゃんが喘息になったのも、全ては幸運。
この先生に出会えて良かった。

この先生にお礼が言えたのは、本当に最近です。
(耳鼻科にはよく行くけど、小児科に行く病気にならなかったので・・・)

「先生が強引に私に療育センターに行けって言ってくれたから、
今、この子は個別療育を受けれていて、環境も整い、ゆっくりですが成長しています。
本当にありがとうございました。」

そう言うと、
先生はあの日には見れなかった(私が見ようとしなかっただけかもしれませんが)
素敵な笑顔で、

「お母さんも大変だろうけど、頑張ってね!
何か困ったことがあったら専門機関とかいろいろ教えるから!」

っと言って下さいました。


「恨まれるのを覚悟で、相手を思い、正しき道を示す人」


本物だ。


そう思いました。


by.yasuco
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by teotsunagou | 2009-12-04 01:18 | 診断までの道のり
【きのこ】のみちのり vol.3

そんな訳で、ついに受診となったきのこ

私の予想はADHDでした。

自転車と衝突したり、すぐにどっかへ消えたり・・・だったのでw


小児科受診で、やはり多動・他害が目立つようなので
加配申請を進められました。
診断は、発達検査に加え、感覚統合チェックリストとおさかなグループ(小集団)での判断をする事になりました。


すでにどんの加配が没だったので
どんに加配が付かないのに、きのこに付く訳ないじゃん!!
と思いつつ・・・申請をしました。
私にとっては、
きのこよりはるかにどんの方が大変な子でした。 今もじゃけど・・・(笑))


しかーし。
あっさり加配が通りました。爆!

命の危険

が、要因だったようです。


そんなこんなで、年少から加配の先生が付くことになり
まもなく診断をもらう日がやってきました。

予想に反し、広汎性発達障害筋緊張・低筋張でした。

もう・・・ (・д・) ポカーーーーン 状態でした(笑))

多動は、低筋張から来てるのかもしれないということで
OT(理学療法)の個別療育をすることになりました。


同じ広汎性でも、兄弟でもまったくタイプが違う事に驚きました。


きのこは、
次男坊らしくかんしゃくもたいしてなく ←どんほどひどくないだけかも・・・(笑))
要領もよく、素直で聞き分けもいい・・・ ような気がする・・・(笑))


とにかく、意味なくひたすらかわいい次男坊きのこです。



兄弟2人ともに、障害名が付く事にやっぱり葛藤と苦悩はありました。

でも、私も強くなった!!

先駆者のどんのおかげで、支えてくれる友人・先生方・療育先・・・

もう。たくさんの 支え を持っていました。


そりゃ私も1人の人間で、未熟者なので
どーーーーんと落ち込む事もまだまだ・・・しょっちゅう・・・ありますil||li

どこまで、強くなりゃいいんだよ!
どんだけ、苦しめばいいんだよ!!
って、前向きに想えない事もあります。

がんばって。しっかりね。
なんて言葉が、プレッシャーにしか感じられない時もあります。
どんきのこに、一生懸命向き合って下さっている先生方に
感謝しなくちゃいけないのに、ずうずうしくも些細な言葉に腹を立てる事もあります。
温度差を感じる事も・・・爆w



それでも、やっぱりすごいよ~がんばったよ~って
言ってくださる先生方には、感謝なのです。


私の気持ちも、どんきのこの気持ちもわかってくださる柏学園のK先生には
ほんと、リスペクトです。


わかるわかる。うちもそうだよ。と同感してくれ、共感してくれる
てをつなごうメンバーと、保育園仲間は、ほんとなくてはならない存在です。



私が、どん底に落ちても、また這い上がれるのは
こういう支えの人たちが、手を伸ばしてくれるからかな♡(。→∀←。)



                                          By,Ran,
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by teotsunagou | 2009-11-08 10:29 | 診断までの道のり
【きのこ】のみちのり vol.2

トラブルファイターきのこくん。

ほとんど寝てばかりだったどんとは大違い。
ほんの小さな物音でも、すぐに起きて ふぎゃ~~~っっ

私と同じAB型なので、とってもとっても 繊細神経質なんだと思っていました。
・・・今考えると、すでに聴覚過敏ww

ぷくぷくで、ぷにゅぷにゅで、おっぱい大好きで、食いしん坊で、よく笑う子で。
この頃、魔の2歳児になろうとしていた癇癪虫どん
悪戦苦闘していた私の、最高の癒しでした。 今もですが・・・笑))

もーかわゆくてかわゆくて、しょーがなかったです。今もですが・・・(笑))


どんと比べると、ちょっぴりゆっくりな成長ながらも
周りの同級生の子達とさほど差もなく、でぷでぷと成長してくれていました。

きのこ8ヶ月の時・・・
旦那の仕事を手伝わないといけない状況になって
泣く泣く保育園へ入園する事になりました。


この頃って、普通、人見知りMAXのはずですが・・・
きのこくん。まったく人見知りありませんでした・・・(´-`;)
誰でもOKな子でした。


きのこに違和感を感じたのは、
1歳を過ぎ、歩けるようになった頃でした。

❁ฺ気に入らない事があると、きぃーーーっっ!!!と奇声をあげる。←今もですが・・・(-益- )

❁ฺスーパーのカートの車輪が、まっすぐになっていない事が気になって何度も向きを直す。

❁ฺ抱っこを嫌がる。


まだ、どんの診断も出ていない頃だったので
本当に神経質だなぁ~(;´д`)ゞ
くらいにしか思っていなかったのですが・・・


そんなこんなで、違和感は感じながらも・・・
かわいくってかわいくって溺愛していました。

きのこが年々少さんの時に
どんの診断名が付きました。


もうこの時点で、きのこにもかなりの判断項目が当てはまっていました。

気が付いていました。
たぶん、きのこもだな・・・って、確信していました。

でも・・・でもでも・・・
信じたくなくって、信じませんでした。
見て見ぬふりを、決め込んでいました。

私は、きのこの子育てに困ってない。

そう、自分に言い聞かせて・・・・


兄弟2人ともなんて・・・。

信じたくなかったです。



しかし・・・。

年々少後半。

ついに、保育園の主任の先生に

『きのこくんも、ちょっと気になるんじゃけど・・・』

言われてしまいました。 ついに・・・

もっとも、聞きたくなかった言葉でした。


『そうだとしても、3歳を過ぎないと診断はつきにくいと聞きましたし、
まだ、成長段階ですし、私はこの子に困ったことはないので、
もう少し様子を見ます。時が来れば、自ら診断へ行きますので。』

精一杯の強がりでした。

それ以降、きのこのイヤイヤをパニックと表現する主任に
本当に憤りを感じました。

どの子にもあるイヤイヤじゃないかっ!!
なんで、きのこだけパニックと表現されなきゃいけないんだっっ!!怒



と・・・・


でも、限界でした。 精神的に。

超多動でした。
他害もしょっちゅうでした。噛む・叩く・・・
集団にまったく入りませんでした。
いつも1人の世界で、不思議な遊びをしていました。
寝転がって、車を並べるオーソドックスな自閉行動もバリバリでした・・・(;´3`)


覚悟を決め・・・・きれなかったけど・・・・


療育センターへの受診を決めました。

                            By,Ran

                       【きのこ】のみちのり VOL,3へ続く・・・
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by teotsunagou | 2009-11-08 06:38 | 診断までの道のり
【きのこ】のみちのり vol.1
私Ran,には、もう1人息子がいます。

どんと同じく、広汎性発達障害と診断された 
次男【きのこsei
低筋張・筋緊張も併せ持っています。


今回は、きのこ の診断までのみち を記録したいと思います。


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次男きのこの妊娠・出産はトラブル続きでした・・・


長男どん から感染した 嘔吐下痢・・・オエ

やたらめったら 長引くな~ と思っていたら 妊娠でしたビックリ

すぐに切迫流産で、1ヶ月入院・・・&

5ヶ月で、貧血で倒れ 毎日点滴の日々・・・注射

7ヶ月で切迫早産・・・

7ヶ月で階段から滑り落ち、尾てい骨にヒビ・・・アンパンマン


そしてなんと、この時までお腹の子は おんなのこ だと聞いていた♥akn♥

7ヶ月にして、またもや おとこのこ と判明・・・♥akn♥

正直、がっくしktさげ

だってー おんなのこのピンクの服 買ったもーんぶたロン

だってー みんなに おんなのこって言いまわったもーんsei


どうして ぶつちんこ が見えなかったんだーーーー♥akn♥




・・・・。




そんなこんなで、トラブル続きの次男坊。

散々、切迫しておいて、予定日超過9日・・・

さすがに胎盤がやばいってコトで、内診で破膜され
ようやく微弱陣痛が強くなった。

破ったから、たぶん血とかでるかもしれないからね。

と言われたもんだから、内診後すぐに じょろじょろ何か出ていたけど
気にせず実家に帰宅し、庭で焼肉をし、妹と風呂に入り、自宅へ帰宅。

12時あたりで、結構痛みが激しくなったものの
眠たかったので、就寝。

だんなも、まだじゃろ~って悠々とTVテレビを見ていた。

深夜2時、尿意で起きた・・・ら・・・・

超!!陣痛っっびっくり

まだ、TVテレビを見ていた旦那と、どんを連れて産婦人科へsei


即効、分娩台でした・・・sei

しかも あのじょろじょろは破水でしたakn


いきみ2回目あたりで、波が来るのを待っていると・・・


ばっった~~~~~~んっっ!!!!

と、何かが倒れたすごい音っっ!!


・・・・・。



・・・・・・。



・・・・・・。




だんなでした・・・・sei
 倒れました・・・。

あほ だんなーーーーーーーーっっ怒りムカツク


原因・・・グロいの恐怖症&寝不足ww



おかげさまで、陣痛遠のき・・・・

心拍下がり・・・



結果、ものすごい おもいっきり お腹を押され・・・なく


ようやく 間 かんぺ・・・じゃなかった 次男坊が 誕生しましたsei


超過産のせいか、体温が低く 呪怨くんみたいなあかんぼうでした。

見てなっとくの ぶつでしたまりめっこ


ともあれ この瞬間 わたしは男の子2人の母となりました。


By.Ran
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by teotsunagou | 2009-11-08 01:45 | 診断までの道のり
ぶっきーのみちのり④
現在のぶっきー


予約の電話から3ヶ月待ち、ようやく診察を受ける事ができました。
診断の結果は「知的障害を伴う自閉症」でした。

あまりのショックに、この時の事はうろ覚えです。
どんな検査をしたかも覚えていません。
これから書く内容には記憶違いがあるかもしれません。


先生から「お母さんはお子さんはどういう状態だと思われますか?」
と聞かれました。
わたしは「多動」ではないかと思う、と答えました。


その時、私にはそのくらいの知識しかなかったのです。


先生に、「自閉症という障害を知っていますか?」と聞かれました。
その言葉は聞いたことがあるけどよく分からない、と答えました。


その場ではその障害についての説明はほとんど無く、
次回の予約をし、視覚支援についての本を薦められて帰りました。


家に帰り、インターネットで自閉症について調べ、
初めて、一生治る事の無い脳の障害だと知りました。

愕然としました・・・。

楽しみにしていた息子の将来が強い不安へと急変しました。
仕事には就けるのか?結婚はできるのだろうか。
私が死んだらこの子はどうなるの?
治せるものならなんでもしたい、どうか間違いであって欲しい、と思いました。



と、同時に、ほっとする気持ちもありました。
今まで納得の行かなかった事の答えがやっと見つかった、と思いました。
もう、自分を責めなくていいんだ、という思い。
なんとか皆に追いつかせようと必死になっていたけど
そのプレシャーからも開放されました。


診断が出て以来、それまで当然だと思っていた事が大きな喜びに変わりました。
「ママ」と呼んでくれる事。
抱きしめると喜んでくれる事。
ひとつ、新しい言葉を覚えた時。

毎日数え切れない喜びを与えてくれる。
改めて、「この子の母親で良かった」と思うことができました。



ぶっきーは今、公立の保育園に通っています。
発達障害に理解のある保育園を選びました。
加配の先生を中心に、園全体でぶっきーを優しく見守って下さっています。
診断を受けたことで、ぶっきーのために良い選択をすることができて
本当に良かったと思います。


だらだらと長い文章になってしまい、申し訳ありません。
診断を受けることをためらっているお母さんの助けに、
少しでもなれば嬉しいです。


by.ちえぞう
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by teotsunagou | 2009-10-13 10:20 | 診断までの道のり